オウム真理教による地下鉄サリン事件が起きた3日後の平成7年3月23日、滋賀県警に逮捕された男性は、拘留中に読んだ新聞や週刊誌で「宗教弾圧ではなかった」と実感したという。教団を去り、元信者となった男性(51)は産経新聞の取材に、25年前をこう振り返った。「科学の限界を超えたものを見たいと思っていたときに現れたのがオウムだった」
■「エネルギーが落ちる」
現在東海地方で暮らす男性は当時教団で、猛毒のサリンをはじめとする化学兵器の製造を担当したとされ有名大学や大学院の理工系出身者らを中心に構成されていた集団「科学技術省」に所属していたという。
教団は7年3月20日に地下鉄サリン事件を起こす。男性によると、その後、山梨県の旧上九一色(かみくいしき)村(現富士河口湖町、甲府市)にあった教団施設「サティアン」に強制捜査が入るとの情報がもたらされると、科学技術省の幹部が「警察官に触られるとエネルギーが落ちる」と言いだし、男性は光ディスクやフロッピーディスクなどを持ち出すことになったという。
「周囲にはまだ切迫した雰囲気はなく、避難訓練みたいな感じだった。2、3日もすればほとぼりも冷めて戻れるだろうと考えていた」
サティアンを出てから、京都にある、出家する前に働いていた教団が経営する食品店に立ち寄ろうとしたという男性。途中の静岡県で職務質問を受けた際、免許証を取り返そうと警察官ともみ合いになり、警察署に身柄を確保されたという。
1日ほどで釈放されたといい、その後店を訪問。教団施設に戻ろうとしていたところ、事件が起きた。車内で仮眠をとっていると、滋賀県警の警察官に声をかけられ、逃走した。
「逃げていると、頭上にヘリが飛ぶようになり、最後はあちこちでサイレンの音が鳴り、何台ものパトカーに追いかけられた。なりふり構わず走り回っていたが、縁石に乗り上げてしまった」
■「精神的に空白だった」
道交法違反容疑で逮捕され、後に公務執行妨害や証拠隠滅の疑いで再逮捕された男性。拘留中に新聞や週刊誌を見て、「宗教弾圧ではなかったんだ」と実感したという。教団にいたときに「弾圧」を信じていた一例として男性は、教団が外部からの毒ガス攻撃に対処するためと称して、設置していた「コスモクリーナー」と呼ばれる空気清浄機を挙げた。
「何十億円もかけてコスモクリーナーを作っていたので、『弾圧を受けて毒ガスをまかれている』という話について、嘘でここまでしないだろうと思った」
一方、麻原彰晃(しょうこう)元死刑囚=執行時(63)、本名・松本智津夫(ちづお)=について「つまらないことを注意されたことや、身辺に多くの女性をおいていたことなどがあり、逮捕前から解脱の域に達している人ではないと思っていた」という。
当時を「物質的には豊かだったけど、精神的には空白な時代だった」とした上で、教団に身を寄せた理由を「科学の限界を超えたところの“何か”に挑戦したいと考えていたとき、目の前に現れたのがオウムだった」と振り返った男性。地下鉄サリン事件から25年となった現在、「神的なことを自称する人がいても冷めた感じでみている」という。
Source : 国内 – Yahoo!ニュース